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古いものが一番上、新しいのが一番下です。

99/09/04 それは10本の電話から始まった(その1)

 日付も変わろうかというころ、仕事から帰ると留守電が入っていた。

「ヨウケン 6件デス」

 へ?

「大阪K大、学園祭の山口(仮名)です。10月30日OB会でお待ちしていますガチャ」
「大阪K大、学園祭の山口(仮名)です。土屋(仮名)さんが『なんでいしやまはケータイの番号変わったのを連絡してへんねん』って怒ってました。10月30日お待ちしてますガチャ」

以下同文

 その日はたまたま持ち歩かなかったケータイにも伝言が入ってる。

「メッセージ ハ 4件 デス」

 内容は同じ。

 山口というのは大学の後輩で、現役の学園祭実行委員。土屋さんは学園祭でぼくの大先輩にあたる人で、前の仕事を世話してくれた人である。しばしば他人と衝突するぼくが、どんなことがあっても頭が上がらない人の一人だ。

 どうも二人は飲んでいたらしい。ただし、電話してきたのは土屋さんで、山口の名前をかたっているのである。
 この人から電話がかかってくると留守電に大量のメッセージを入れられて留守電が使い物にならなくなっている。大学の職員によると、彼がアルバイトでヒーロー物のキャラクターショーで着ぐるみに入っていた頃は、職員の留守電にBGM付きで丸々一話分吹き込まれていたらしい。

 関係ないが、土屋さんの結婚披露パーティーにはウルトラマンがお祝いに来ていた。3分経ったら酸欠でM78星雲に帰ってしまったが。

「あー、またややこしいことしてはるわ。こら厄介やなあ」

 と思いつつ土屋さんのケータイに電話した。


99/09/04 それは10本の電話から始まった(その2)

土「もしもし」
私「いしやまです、お疲れ様です」
土「山口です」

 ――思った通りやな。

土「土屋さん怒ってはりますよ、『なんで新しいケータイの番号教えてくれへんねん』って。私殴られるんですよ。10月30日、来てくれるんですよねえ」

 電話の向こうで山口の「いたいじゃないですかー」という声が笑い声交じりに聞こえてきた。とりあえずしばいてるのはホンマらしい。言い忘れたが、山口は気が強くて男前だが戸籍上は女だそうだ。

 それから、10月30日は正規のOB会の日ではない。OB会は11月3日、誰も呼びかけてないのに鮭が川に戻ってくるがごとく集まってくる約束になっている。要は、それ以外に飲みに来い、行き帰りが面倒ならそのまま大阪にいろと言っているのだ。

 「土屋さんってば」「山口です」の押し問答の後、山口が電話に出た。

山「土屋じゃ。こんな時間までなにしてんねん」
私「うるさいわぼけ(-_-; 仕事や仕事」
山「今年の学園祭な、11月2日のステージ企画、山口がやるから。いしやま、PAやってや」
私「なんで九州から出ていってPAやらなあかんねん。それから、そのややこしい会話やめい」

 PA(ピーエー)というのは英和辞典にも載ってて、直訳すると「放送装置」。日本ではコンサートや演劇でのサウンドシステムまたはそのオペレータのことを指す。ぼくは以前、主にイヴェントや講演会のPAと小さなホールの管理で生活していた。

 要は、手伝えと言ってるのだ。無論、ノーギャラで。内容は、今流行りのとあるゲームソフトを使ったステージ企画らしい。そのゲームのメーカーがスポンサーになるので大型スクリーンなども借りられるとのこと。それだったらオペレータもスポンサーが出してくれそうなもんだが。

 学園祭でなんでこんな大掛かりなことができるかというと、土屋さんがそのスポンサーの仕事をしているからで、いろいろと骨を折ったらしい。


99/09/04 それは10本の電話から始まった(その3)

 話は電話のやり取りに戻る。山口は素(す)に戻った。

山「いしやまさんがPAやらなかったら誰がやるんですかー」
私「そこにいてる奴でなんとかせえ」
山「誰もできませんよーあんなのー」
私「そんなん知るかぼけ。そんなホイホイと休まれへんっちゅーに」

 PAのことについては大阪にいたとき、数十ページのオリジナルテキストを使った講習会を年一回開いた上に、前の仕事を辞めるときに後輩の南をアルバイト(人質とも言う)としてぼくの仕事場へ放りこんできたのでそいつがいくらかはできるようになっててもいい頃のはず。

私「何年か前もお前ら手伝ってて『現役に手ぇ出すな。好きなようにやらせんかい』って先輩OBの皆さんからお叱りを受けたとゆーに」
山「大丈夫ですよう、来てくださいよう」
私「とにかく30日は行くけど、それから後は知らん。手も出さん」

 実際、二ヶ月も前から長期の休みを届けるには勢いと、ちょっとした口からでまかせが必要なのはPMFで経験済みだ。実は去年も学園祭のときに大阪で5日ほど過ごしたが、あれは休日出勤の山を築き上げて「ここらへんで休ませないとまずい」という雰囲気を作ってから休んだので気楽さが違う。

 とりあえず顔を出す(引っ張り出される)からには彼(女)らの現状も気になる。

私「で、今年は一回生何人いてる?」
山「8人です」

 まあまあだな。

山「でも二回が一人になりました」
私「なにいー!?」

 学祭委員がなんで減るんじゃ! と思うかもしれないがこの委員会、学生運動から派生してできた名残りで参加は任意、つまり限りなくサークル活動に近いノリで運営されているのだ。イヴェントサークルみたいなもんだが、「電通・博報堂ごっこ」をやっている彼らと違うのは、あくまでも大学の公式行事なので模擬店の募集と説明会もやるし、周辺住民を意識した子供向けの工作教室(評判いいんだ、これが)もやるので、地味な仕事ばかりのこともある。

 そこが嫌われるのか、あるいは他に事情があるのか(事情の一部は後に書きます…とお客の気を惹いといて)、4月に十数人いた一回生が学園祭の始まる頃には7、8人ということは毎年のことである。しかし最近はもっとひどくて、気がついたら一人しかいなかった、ということが続いている。二回生も去年の今頃は5人もいたのだ。

私「残ったのは委員長のMか?」
理由は定かでないが、委員長は二回生がやることになっている。
山「いえ、あいつは学校自体を辞めました」
私「…あ〜あ」
山「それからねえ いしやまさん」
私「なんじゃ」
山「二部なくなっちゃうんですよう」


99/09/04 それは10本の電話から始まった(その4)

私「そーかあ、そらしゃあないなあ。これから学生の数も減るし。お前ら来年からどうすんの」
山「まだそういう話にはなってないです」
私「でも学祭終わったらすぐにその話出るで。学生課もなんかゆうてるやろ」
山「そのことは言ってないんですけど、来年から予算を大幅削減するって言ってます」
私「ほれ見てみぃ、伏線はられてるやないか(^^; 一部と一緒になってあっち乗っ取ってしまえ」

 二部というのは夜間課程のことである。そう、彼女たちとぼくは夜間学生とそのOBというわけ。夜間学生と言っても昔のように苦学してでも行くところではなくなっていて、難易度が低いことからもっぱら滑り止めの対象になっている(といってもぼくの入学したときはそれなりに難しかったらしいが)。生活に多少余裕のできた社会人が毎年10人前後入ってくるあたりに夜間らしさ残っているくらいか。

 ここで二部マメ知識。夜間は5年で卒業では、と思っている人が多いが、殆どの大学夜間課程は4年が標準的な修業年限である。うちの大学の場合、卒業すれば資格は一部と同じ、履歴書にも書く必要は無い。ただし、授業時間の関係(二部の1コマは75分)で高校普通科数学の教員免状が取得できない。ちなみに学費は一部の約半額である(予備校とそんなに変わらない)。

 授業は夕方17時30分から21時25分まで(だったかな。よく覚えてない)、学祭の会議のある日はそれから22時30分まで会議、そこで学校を締め出されるので近所の居酒屋で会議(飲んでるだけとも言う)。たまに奈良の天理教本部の前でラーメン食べながら会議(*)、空が明るくなる頃解散、平日だったらそのまま仕事、という非常にハードなスケジュールである(^^;;;;;
(*) 関西では有名な屋台がある。

 主な活動時間が真夜中なので、コンパなんかで18時くらいから飲んでたりするとなんだか真昼間から飲んでるような、不思議な感覚になったもんである。

 とにかく、二部が無くなると言うことはその学祭実行委員会も無くなると言うことだ。そのまま解散するか、同じ日に同じ場所でやっている一部の実行委員会と合併してしまうか、二者択一を迫られる。大学側は以前から一緒にやるように主張していたので、これで念願かなうわけである。

私「じゃあ、わかった。どっちにしてもお呼びがかかるのも来年くらいまでやろ。土日は行くことにするわ。でもおれは後ろから見てるだけやからな」
山「そんなこと言ってて、去年はPA席乗っ取ってたじゃないですか。とりあえずお待ちしてますー」

 ―一時間後、土屋さんからメール。

 しっかりがんばれよー。でもお前はでしゃばってると思われがちだから、必ず一呼吸置いて、考えてから動け!

気にかけてくれる人が居るというのはありがたいことだ。


99/09/11 坂本龍一@武道館

 東京、武道館で坂本龍一の総合舞台芸術「LIFE」を観る。おおまかなことは掲示板に書いたが、がっかりしないですんだけど手放しで喜べるものではなかった、というのが正直な感想。

 曲調が現代音楽、あるいは暗黒劇風であったことを理由にしてこれを非難する人(言い換えれば、ポップ路線を期待する)がいるが、これが手放しで面白く観られないのは曲調がどうのこうのではなくて、もっともっと単純に以前と比べて仕事が雑だからではないだろうか。坂本の曲は元々あらゆるジャンルの曲調を彼なりの解釈で再構築するところにその良さがあったと言ってもいいと思うが、近年はその構築の仕方が安易だと思う。あるときは、ピアノソロのライヴなのに練習してなかったらしく、演奏がひどくて本人もしきりと「練習してない」と言ってたくらいだから、音楽に対するモチベーションが落ちている(いた)のでは? とも思える。

 年取っちゃったのかなあ。彼もぼくも。


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